ホーム > 新選組のふるさと日野 > 新選組ゆかりの地 玉造町
玉造町
・旧水戸藩(一部)
・芹沢鴨、平間重助の出身地
・鯉の養殖日本一
茨城県の南東部、霞ヶ浦の東岸に位置する。西は霞ヶ浦を隔てて霞ヶ浦町に、東は北浦町と鉾田町、北は小川町、南は麻生町に接している。
古代・万葉の時代から幕末まで、各時代の史跡、文化財が数多く残る文化の町。幕末には幕命よりも勅命を重んじる尊皇攘夷の過激組織・天狗党が活動を行う。
■幕末~維新の主な人物
芹沢鴨 ―浪士組参加までは下村継次と名乗っており、神道無念流免許皆伝の腕を持つ。水戸勤王派の武田耕雲斎に学び、天狗党(旧玉造党)の一員であったといわれる。壬生浪士組では筆頭局長。「尽忠報国之士芹沢鴨」と刻んだ三百匁(約1.1kg)の鉄扇を常に携帯。短気で粗暴な振る舞いが災いし会津藩より近藤らに暗殺の指示が下され死亡。優れた和歌を残すなど学問もあった。
平間重助 ―芹沢鴨とともに浪士組に参加。壬生浪士組では副長助勤,勘定役を任される。芹沢暗殺の際には難を免れ、脱走し郷里に戻る。
武田耕雲斎 ―水戸尊攘派の総帥にして、尊攘過激派である天狗党の盟主。尽忠報国の至誠を朝廷に嘆訴しようと京都に向かう途中、藤田小四郎らとともに越前で加賀藩に捕らえられ鰊蔵に拘禁。斬罪。享年63歳。
■主な名所
霞ヶ浦 ―国内で2番目に大きな湖。もとは内湾であったが、16~17世紀の相次ぐ河川工事により湖沼となる。
三昧塚古墳 ―昭和30年、霞ヶ浦の護岸工事で土砂を出した際に発見された前方後円墳。盗掘に合わずにいた石棺からは様々な副葬品が出土した。
帆引き船漁 ―明治13年に折本良平という人が考案したものだと言われる。船を横に使うため、風をはらんだ大きな帆とのバランスに熟練した技術を要する。
- 新選組(幕末)関連史跡・由来を活用した事業
- 事業実施団体
- 玉造町観光協会
- 活性化に活用した新選組(幕末)関連史跡・由来名
- 初代筆頭局長:芹沢鴨 勘定方:平間重助 2名の出身地
- 新選組(幕末)関連史跡・由来を活用した観光振興事業の内容
- 全体事業:新選組まちおこし事業
- 個別具体的事業:
- 新選組水戸派資料館の開設
- 特産品開発事業
- 新選組列車の運行
- 各種イベント事業の実施
- 交流事業の実施
- 新選組(幕末)関連史跡・由来を活用した商店街(商業)振興事業
- 特産品(新選組ゆかりの商品)開発にともなうPR及び販促事業→PR及び販促については商工会事業としても実施
- 事業実施における効果
- 観光客の来町による交流人口の増加
- 町全体のPR
- 事業の実施によるまちづくり意識の高揚
- 町民の意識の啓蒙
- 子供たちの町の歴史への関心が高まった
- 問題点・課題等
- 事業の一過性
- 当町以外の県内ゆかりの地との連携が思うようにとれない
- 観光客が地元商店街に回遊しない
- 事業実施団体
- その他史跡・由来を活用した事業
- 事業実施団体
- 玉造町観光協会
- 活性化に活用した史跡・由来名
- 霞ヶ浦の伝統漁法、帆引き船
- その史跡・由来を活用した観光振興事業の内容
- 観光帆引き船事業→霞ヶ浦の伝統漁法を観光用に活用し操業風景を見物する
- その史跡・由来を活用した商店街(商業)振興事業の内容
- 一部佃煮などの商品を開発、販売しているが事業としては実施していない
- 事業実施における効果
- 霞ヶ浦及び玉造町のPRとイメージアップ
- 問題点・課題等
- カメラマンがほとんどであり商店街への経済効果がない
- 事業実施団体
05/03/21 20:01
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