高幡不動尊
年間200万参拝客のにぎわい
関東三大不動尊の一つ高幡不動尊は古来より日本一と伝えられた丈六不動三尊(重文)をまつる寺で、平安期からの文化財を数多く収蔵する古刹です。
土方歳三の菩提寺であり、大日堂では毎年、5月の命日には法要が行われています。
新選組関係では殉節両雄之碑・土方歳三の像が境内にあり、更に奥殿には歳三の手紙や東照大権現の幟・新選組英名并日記等の資料のほか、歳三と交わりの深かった幕末名士達の書軸などが数多く展示されています。
殉節両雄之碑
故幕府新選隊士 近藤昌宜・土方義豊碑
明治政府は戊辰戦争に関係した東軍の戦死者の墓碑の建立や供養を禁止しました。この禁が解けた明治九年に元隊士・永倉新八が中心になって板橋刑場の側に近藤・土方ら新選組隊士の供養墓が建立されました。
同じ年に日野でも高幡山前住賢雅和上や日野宿の佐藤彦五郎を中心に「近藤・土方の忠節を顕彰する碑」を高幡山境内に建てることが計画されました。
しかしその内容が当時賊軍扱いされていた両士の顕彰碑だったために碑が完成しても建立の許可が得られず、実際に建てられたのは明治21年です。
最後の将軍徳川慶喜は、歳三の「唯死あるのみ。即ち寛典に処すとも吾何の面目あって、また昌宜と地下にまみえんや!」との文言のある碑文を読み、無言のまま落涙したと言われています。
土方歳三銅像
土方歳三は今、弁天池入口で高幡不動を訪れる人々を見下ろすように立っています。
この像は平成7年、東京日野ロータリークラブが郷土史家の協力のもと歳三の姿を現代に蘇らさせたものです。