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滝野川(東京都北区)

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  • 近藤勇最期の地
 

地域の特色

 東京都の北部に位置し、北部は荒川を隔て埼玉県川口市、戸田市に、東は荒川区、隅田川を隔て足立区に接し、西は板橋区、南は文京区、豊島区に接する人口約32万のまち。

 幕末には近藤勇が板橋平尾宿の一里塚で斬首の刑を受けた。その後永倉新八が発起人となり、明治9年に近藤勇と新選組隊士の墓碑が建てられた。

 現在では、墓前供養祭を実施したり、地元商店街等で滝野川新選組まつりを行い、地元住民をはじめ多くの人々が訪れる。また、2003年12月には墓碑が北区の指定文化財となっている。

幕末~維新の主な人物

近藤勇
新政府軍に捕らえられた近藤は、板橋の一里塚で斬首の刑を受けた。首は板橋宿はずれの平尾一里塚刑場にさらされた後、火酒に浸され、京都・三条河原にさらされた。近藤の墓は愛知県の法蔵寺・三鷹市の竜源寺の計3カ所があり、ここ板橋には胴体が埋葬されていると伝えられる。
永倉新八
神道無念流免許皆伝の剣豪。新選組副長助勤、二番隊組長。鳥羽伏見の戦いの後、江戸に退去後、近藤と意見が対立して新選組を脱退。原田左之助らとともに靖共隊を結成し、独自に戊辰戦争を戦う。明治維新後も生き延び、北海道小樽で余生を送る中で、東京の板橋に新選組同士の慰霊碑を建立したり、「浪士文久報国記事」等を執筆するなど、新選組の数多くの記録を後世に残した。

主な名所

近藤勇の墓
JR板橋駅より徒歩1分。近藤勇の命日である4月25日には毎年慰霊祭が行われている。全国から近藤ファンがお参りに訪れる。隣には墓建立の発起人となった永倉新八の墓碑もある。
滝野川の種屋
江戸時代、道中を通る旅人に野菜の種子を販売し、「種子は滝野川」と呼ばれるほど有名。特に人参は滝野川人参と呼ばれ、もてはやされた。現在も旧中山道沿いに種屋が残る。
 
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