試衛館(東京都新宿区)
新選組キーワード
- 天然理心流の道場「試衛館」があった場所
地域の特色
東京都23区のほぼ中央に位置し、千代田区・港区・文京区・豊島区・中野区・渋谷区の各区にそれぞれ隣接する。
近藤勇をはじめとする新選組の中心人物達が浪士隊に参加する以前、剣術の修行をしていたのが「試衛館」である。現在の市谷柳町25番地あたりにあったといわれている。
歓楽街である"歌舞伎町"や数多くの百貨店、東京都庁をはじめとするオフィス街など、人の集まる施設が数多くあるため、JR新宿駅は日本一の乗降客を誇る。
幕末~維新の主な人物
- 近藤勇、土方歳三、永倉新八
- 他項参照
- 沖田総司
- 新選組一番隊隊長、副長助勤。9歳の時に天然理心流、近藤周助の弟子となり、住み込みで剣術の腕を磨いた。16歳で試衛館の塾頭となり、師範代を努めている。池田屋事件後、持病の結核が進行。病を患いながらも数々の任務をこなすが、病状悪化し27歳の短い生涯を終える。近藤勇処刑の2ヶ月後であった。
- 藤堂平助
- 北辰一刀流の目録をもらった後、試衛館にも出入りするようになり新選組結成に名を連ねる。若干20歳で副長助勤となる。池田屋事件では眉間に傷を負いながらも奮戦。後に江戸で伊藤甲子太郎を新選組に勧誘・入隊させるも、伊藤らと共に高台寺党を結成し、新選組を離脱。油小路の変により殺害された伊藤の遺体を引き取る際に待ち伏せていた新選組隊士に斬られて絶命。享年23歳。
- 山南敬助
- 北辰一刀流名許皆伝の腕前を持つ。近藤勇との立会いに敗れて試衛館の門人となり、新選組結成に名を連ねる。学問にも熱心であり文武両道の人格者であったといわれている。勤王思想が強かったため、佐幕派に近藤・土方との溝が深まり、脱走。大津の宿で沖田に発見され抵抗することなく屯所に戻り、切腹。享年33歳。
主な名所
- 新宿御苑
- 徳川家康は江戸城に入城した際に家臣の内藤清成に授けた江戸屋敷の一部をもととしている。内藤植物試験場~新宿植物御苑を経て、明治36年に西洋庭園として完成。
- 東京都庁
- 平成3年竣工。ツインタワー形式の第一本庁は高さが243m(地上48階)あり、202m(地上45階)部分には展望台を備えている。
- 歌舞伎町
- 日本一の歓楽街。飲食店や様々な娯楽施設が建ち並ぶ不夜城。