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新選組副長・土方歳三

新選組副長・土方歳三とは...

「土方歳三資料館」

 

−日野にいたころ−

 歳三は11歳のころ上野広小路の伊藤松坂屋に奉公に出ましたが、生来の利かん気からか番頭に反抗し、家へ帰ってしまいました。18歳で再び江戸の呉服屋に奉公したものの、とても商人で収まるような器ではなかったようで、その後は家伝薬の「石田散薬」を売り歩いたと伝えられます。石田散薬の原料となる「ミゾソバ」を採る時など、集めた村人を動かす段取りは非常にうまく、それが後に新選組副長として隊を運営する手腕に生かされたのではないでしょうか。

 

−新選組副長−

 京都時代は「士道に背くまじきこと」で有名な局中法度をバックボーンにして、尊王攘夷派から恐れられる新選組をまとめ、治安維持にあたりました。その反面、郷里に送った手紙で「もてすぎて、国家のことを忘れてしまいそうだ」と自慢してみせる洒脱な一面もあったようです。

 しかし、近代装備の薩摩・長州軍と初めて衝突した鳥羽・伏見の戦いに完敗し、「もはや刀・槍の時代ではない」と武士に憧れた歳三は痛感します。

−指揮官として−

歳三のすごさは、その後、東北各地を転戦するうち、堂々たる近代戦争の指揮官へと成長していったことです。

 榎本武揚らとともに樹立した「蝦夷地仮政権」では「陸軍奉行並」に選ばれ、局地的な戦闘で無類の強さを発揮するだけでなく、全軍の指揮にあたりました。

 明治2年5月11日、新政府軍の猛攻でいよいよ箱館の陥落が迫るや、弁天台場に立てこもる新選組隊士の救出に向かう途中、馬上で腹部に銃弾を受けて壮絶な最期を遂げたと伝えられています。

 
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